刊行にあたって:
人と社会の核心にある問題へむけて、いつも深く垂鉛をおろして考えつづけてきたのが吉本隆明さんでした。
それは、敗戦の衝撃から六〇年安保を経て、七〇年代の地滑り的な社会変動がいまも拡大進行している大衆消費社会の現在にまでおよんでいます。
文学と思想の両翼にわたる体系的な思索と力動的な考察は、多様な領域と主題をめぐって精力的になされつづけてきましたが、徹底的に突き詰めるその言説によって、たえずポレミカルな緊張をはらんでいました。その時々の象徴的な論争をはさみながら、共感と反発をたくさん生み出してきましたが、つねに危機の淵にはっきりした足跡を印そうとするその著作の規模と深度は、同時代にひときわ抜きん出たものであったと思われます。
轟々たる論理が苛酷に展開される長編の書物においても、さりげない片々たるエッセイにおいても、紛れもなくどこまでも吉本隆明さん自身でありつづけたその著作の集積のすべてを、いまここに「全集」としてまとめ、読者のみなさんにつつしんで提出いたします。
推薦の言葉:
吉本隆明は戦後日本最大の、そして空前絶後の思想家である。「空前絶後」というのは、吉本の前に吉本はなく、吉本のあとに吉本はいない、という意味である。
彼は戦後の反体制運動のなかで扇動者の役割を果たしたり時局発言をしたりしたが、また大衆消費社会に迎合したとも言われたが、そしてオウム事件の時には麻原彰晃を擁護したり反原発運動に対立したりというフライングを犯したりもしたが、そういうふるまいの瑕疵はかれの業績を傷つけない。
というのも、彼ほどラディカルに───根底的に、という意味だ───言語について、国家について、共同体について、家族について、性愛について、心的現象について、信仰についてかんがえた者がほかにいただろうか?「理論不毛の地」と言われたこの国で、どんな外来の思想にも頼らず、徒手空拳で自前のことばで考えぬいた。
「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」という自負がなければ、これらのしごとはなしえなかっただろう。(上野千鶴子)