该卖家需要收取10%消费税
商品参数
- 拍卖号: n1140437651
开始时的价格:¥14883 (300000日元)
个数: 1
最高出价者: - 开始时间: 2024/7/25 4:25:01
结束时间:
提前结束: 不可能
商品成色: 全新 - 自动延长: 不会
日本邮费: 卖家承担
可否退货: 不可以
直购价格: ¥14883 (300000日元)
拍卖注意事项
1、【自动延长】:如果在结束前5分钟内有人出价,为了让其他竞拍者有时间思考,结束时间可延长5分钟。
2、【提前结束】:卖家觉得达到了心理价位,即使未到结束时间,也可以提前结束。
3、参考翻译由网络自动提供,仅供参考,不保证翻译内容的正确性。如有不明,请咨询客服。
4、本站为代购代拍平台,商品的品质和卖家的信誉需要您自己判断。请谨慎出价,竞价成功后订单将不能取消。
5、违反中国法律、无法邮寄的商品(注:象牙是违禁品,受《濒临绝种野生动植物国际贸易公约》保护),本站不予代购。
6、邮政国际包裹禁运的危险品,邮政渠道不能发送到日本境外(详情请点击), 如需发送到日本境外请自行联系渠道。
茶壺とは抹茶になる前の葉茶「碾茶」を入れる壺のことです。
正式には「葉茶壺」(はちゃつぼ)といい、挽き上げた濃茶を入れておく壺は「抹茶壺」とか「碾茶入」といい、一般的には「茶入」と呼ばれ、茶入を「小壷」と呼ぶのに対し「大壷」ともいいます。
茶壷の中には、紙袋に入れた幾種類かの濃茶用の碾茶を収め、その周りに「詰め茶」といわれる薄茶用の碾茶を入れ、木製の蓋をし三重に和紙で包み貼りして封印をします。
茶壷は、高さは小は20cm、大は50cmに及ぶものがありますが、多くは30cm内外で、首が立ち上がり、肩に2~6個の耳(乳という)が付いていますが、多くは四耳です。
茶壷は、信長・秀吉が書院の飾り道具に用いたことにより、諸大名もこれに倣い争って茶壺を求め、利休時代では茶器の中でも筆頭道具として尊重されましたが、今では口切に使用するほかは装飾に用いられています。
茶壷の装束(付属品)としては、口覆、口緒、網、長緒、乳緒があります。口切の茶事とは葉茶壺に入れ目張りをして保存しておいた新茶を、陰暦10月の初め頃に封を切り、抹茶(まっちゃ)にひいて客に飲ませるもの。
炉開きに行なわれ、茶人の正月ともいわれる。
茶壺道中(ちゃつぼどうちゅう)
江戸初期の1632年(寛永)に将軍家光は、宇治の茶師に命じて作らせた将軍家直用のお茶を運ぶ「宇治採茶使」の一行を、「御茶壷道中」と呼ぶ
【8代 岡田暁山 (おかだ ぎょうざん)】1948年昭和23年 生まれ
1998年平成10年 現当主 8代目を襲名し現在に至っております。
------------------------------【暁山窯】
1711年正徳元年 粟田に一文字屋が開窯
1805年文化02年 青蓮院宮粟田口御所御用焼物師として出入りを許され「暁山」銘を拝領する。
1877年明治10年 暁山本家が絶家となるにあたり、親交のあった近江屋長兵衛に「暁山」の号を託し以来岡田暁山として受け継いでおります。
1798年寛政10年 近江屋長兵衛は近江の出身で清水・五条に窯を開き、焼物問屋も創業し屋号を近江屋と称しておりました。
1886年明治19年 五条地区に巽組合を設立、五条坂に陶磁器の蒐集場を設立
1902年明治35年 錦窯を築き上絵付け加工販売も始め海外にも輸出を始めました。
第二次大戦後には、私の父 7代 暁山が特に輸出に力を入れ海外に暁山銘の京薩摩焼を広めました。
明治時代には京都博覧会、内国博覧会に出品
1873年明治06年 ウィーン万国博覧会
1924年大正13年 パリ万国博覧会まで何度も京焼の普及のため出品してまいりました。
1993年平成05年 約100年ぶりにパリで開かれた「現代の京焼・清水焼パリ展」に出品し高評を得ました。
サイズ:約直径26.6×蓋含む高30cm
作者:岡田曉山作
----------------
【8代 (おかだ ぎょうざん)】
昭和23年 生まれ
平成10年 現当主 8代目を襲名し現在に至っております。
----------------
【暁山窯】
正徳元年 粟田に一文字屋が開窯
文化02年 青蓮院宮粟田口御所御用焼物師として出入りを許され「暁山」銘を拝領する。
明治10年 暁山本家が絶家となるにあたり、親交のあった近江屋長兵衛に「暁山」の号を託し以来岡田暁山として受け継いでおります。
寛政10年 近江屋長兵衛は近江の出身で清水・五条に窯を開き、焼物問屋も創業し屋号を近江屋と称しておりました。
明治19年 五条地区に巽組合を設立、五条坂に陶磁器の蒐集