【叡尊と西大寺の工芸】岡田譲 より一部紹介
西大寺の名を聞くとわれわれはすぐさま叡尊と舎利塔を想い浮べる。現在の西大寺からは、創建当初の面影を偲ぶよすがはあまりにも失われているのである。『西大寺資財流記帳』(以下『資財帳』という)をみると、居地三十一町、薬師・弥勒の両金堂からなる金堂院を中心に、高さ15丈、五重の二基の塔、十一面堂院・西南角院・東南角院・四王院・小塔院・食堂院・馬屋房・政所院・正倉院という壮大な規模が記され、それらの堂内には実に数多くの仏像が安置され、仏画の障子絵や諸調度で荘厳される壮麗なたたずまいが説明されている。まさに奈良時代の終末期を飾る大寺の結構に目をみはる思いにさせられるのだが、いまそれらのほとんどすべてが失われてこの目で捉えることはできない。しかし、それに代って、叡尊という強烈な個性の存在と叡尊ゆかりの舎利塔などの工芸遺品によって、鎌倉時代の西大寺が強く印象づけられるのである。この小文では、西大寺の歴史と叡尊の事績に触れながら、同寺に伝わる鎌倉時代の舎利塔や密教法具などの工芸について述べてみたい。
ほか
【作品解説】より一部紹介
金銅宝塔壇塔 国宝 文永7年(1270)
金銅製 総高 宝塔91.0cm 宝珠形舎利塔21.5cm
叡尊が文永7年に銅細工師と鋳物師に命じて造らせたもので、叡尊関係の舎利塔と伝えるものは西大寺に幾つか数えられるが、由緒のはっきりしているのは、これと鉄宝塔の二点である。宝塔の構造は、相輪をいただく屋根、塔身、基壇からなり、塔身につく扉を開くと,菱格子を通して中の舎利塔がみえる仕組になっている。中の舎利塔は、蓮華座上に四方火?付きの銅製鍍銀宝珠を据える、いわゆる宝珠形舎利塔で、四本の柱に支えられた天蓋の下に安置される。
宝塔は鋳物の部分と鍛金・彫金の銅細工の部分が巧みに按配されて、工芸作品というよりは建築模型という方が当っているほど、細部に至るまでゆきとどいた拵えになっている。宝塔形の舎利塔では、古く保延4年(1138)銘の、法隆寺献納宝物中のものがあるが、両者の比較において、これは意匠の写実的表現という鎌倉時代の特色を遺憾なく示している。
鉄宝塔・五瓶舎利 国宝 弘安7年(1284)
鉄製 総高 宝塔172.7cm
白銅製 総高 舎利瓶(大)33.5cm(小)29.7cm
舎利容器(大)14.8cm(小)13.3cm
これは叡尊が弘安6・7年にわたって大工藤原宗安らに造らせたことが、塔の中心柱に刻まれた銘文によって明らかにされる。構造は金銅宝塔とほぼ同じだが、この方は省略の部分もあって端正な趣きをだしており、細工のとりわけ難かしい鉄鍛造技術によってこれだけすっきりと仕上げたのは愕くべきことである。
宝塔内に舎利瓶五具が納められるが、これは口に未敷蓮を挿した花瓶形で、それぞれ蓮華の金質、蓮弁の刻文に相違はあるものの、形状に大差なく、ただ一具だけが大形につくられている。これらは宝塔内に大形舎利瓶を中心に、巽(南東)・坤(南西)・乾(北西)・艮(北東)の四方に配される。
この瓶の中には、さらに水晶宝珠の金銅舎利容器が納められる。
この宝塔・舎利瓶・舎利容器を一具にして、舎利を奥深く安置する舎利崇敬のアイデア、ならびにそれらの巧妙な意匠、入念な技術は、叡尊そのひとの意向をかなり強く反映しているように思われる。
舎利塔 伝亀山天皇勅封 重要文化財 建武2年(1335)
金銅製 総高 舎利塔33.9cm 水晶舎利容器径7.65cm
宝珠を安置する蓮華座を、五鈷杵が支える珍しい形の舎利塔で、東京国立博物館に密観宝珠舎利塔と呼ばれる同時代の類品がある。ただし、西大寺宝珠形舎利塔は五鈷杵が蓮台に横たわるもう一つの五鈷杵の中央部に立つのに対し、東京国立博物館の分は蓮台上の八角輪宝の上に立ち、前者の宝珠が水晶であるのに後者のそれは銅製鍍銀となっている。
水晶宝珠の内に緑糸で括った紙包みがあり、これが亀山天皇勅封の舎利と伝えられているもので、その由緒は、『行実年譜』にみられる、建治2年(1276)に亀山上皇が叡尊より菩薩戒を受けられ、翌年には宮中で法を聴かれた礼として弘法大師伝来や鑑真和上将来によるなどの五粒の仏舎利を上皇から賜る、という記事によるものと思われる。だが、近年の調査によって建武2年の銘がみつかり、寺伝より下る製作年代が明らかとなった、建武2年という南北朝にはいっての作だが、その写実的表現になる動きのある宝珠の火焔、よく引き締った素文の蓮弁、力強く張りのある五鈷杵などすべて鎌倉時代意匠の特色をよく遺している。
舎利塔 伝叡尊感得 重要文化財 応永21年(1414)
金銅製 総高 舎利塔29.0cm 水晶舎利容器径4.0cm
宝珠形舎利塔としてはたいへん複雑な形式のもので、たとえば前掲五瓶舎利における宝珠形舎利塔では、宝珠の下に蓮華・敷茄子・蕊・反花・框座という構成になるのに対し、これでは敷茄子と蕊の間に華盤ともう一つ敷茄子と框を加え、さらに反花の下に三重の框(以下略)
愛染明王坐像(愛染堂) 重要文化財 宝治元年(1247)
木造彩色像高31.8cm
秘仏として祀られている愛染堂の本尊である。叡尊の事績にあれほど詳しい『学正記』に記されておらず、それまで製作時期も明確にされなかったのが、昭和30年の奈良国立文化財研究所による調査の際、像内の納入品によって、宝治元年8月18日に、叡尊が大弟子範恩が大檀越となり、仏師善円によって造立されたことが明らかとなった。
肉身の朱彩鮮やかに、衣文の切金もよくのこる精緻な像で、彫法は手堅く、肢体も張りをおびてよく引き締まる。善円の作では、本像に先だつ旧指図堂所在、嘉禄元年(1225)銘の東大寺釈迦如来像があるが、本像の方が一段と洗練の度が加わった感がある。なお、像内納入品中に錦裂に包まれた金製と銀製の舎利容器が二口あり、上記東大寺釈迦如来像にも経巻などとともに舎利が籠められている。
ほか
【図版一覧】より一部紹介 別刷 制作年・英文・国宝/重要文化財 指定掲載
<カラー>
金銅宝塔 国宝
文久7年(1270)
Gilt-bronze pagoda 13th cent.
(以下制作年、英文等略)
金銅宝塔 宝珠形舎利塔
鉄宝塔 国宝
透彫舎利塔 国宝
透彫舎利塔
舎利塔(伝亀山天皇勅封) 重要文化財
大神宮御正休厨子戸帳 重要文化財
十二天像 帝釈天 国宝
十二天像 火天
十二天像 水天
十二天像 月天
十二天像 火天・水天 部分
十二天像 水天 部分
十二天像 伊舎那天 部分
十二天像 風天 部分
愛染明王像 重要文化財 全身
<モノクロ>
増長天像 邪鬼 重要文化財
増長天像
持国天像 邪鬼 重要文化財
釈迦如来像 重要文化財
阿シュク如来像 重要文化財
釈迦如来像(本堂)重要文化財
釈迦如来像(本堂)
愛染明王像 全像
愛染明王像 上半身
興正菩薩像 重要文化財 全像
興正菩薩像 頭部
十二天像 焔摩天
十二天像 羅刹天
十二天像 風天
十二天像 毘沙門天
十二天像 伊舎那天
十二天像 梵天
十二天像 地天
十二天像 日天
金銅宝塔 中央部
鉄宝塔 中央部
五瓶舎利 国宝 上 舎利容器 下 舎利瓶
舎利塔(伝叡尊感得) 重要文化財
透彫舎利塔 中央部
透彫舎利塔 部分
透彫舎利塔 部分
透彫舎利塔 上面
大神宮御正体 重要文化財 上 桜花双鶴鏡 下 甜瓜蜘網双鶴鏡
密教法具 独鈷杵 三鈷杵 五鈷杵 五鈷鈴 金剛盤
密教法具 火舎 花瓶 六器 飲食器 一面具
密教法具 羯磨 輪宝
五輪塔
【テキスト内 追加図版】一部紹介
金剛仏子叡尊感身学正記
創建寺地条坊想定図
興正菩薩像
叡尊書状
大黒天像
金銅八角五輪塔(興正菩薩像納入)
金銅宝珠形舎利塔天蓋
鉄宝塔 心柱刻銘
五瓶舎利
金銅宝塔(東京国立博物館蔵)
金銅舎利瓶(放生院蔵)
奈良原山経塚出土 銅宝塔(奈良原神社蔵)
防府天満宮 金銅宝塔
胡宮神社 金銅五輪塔
金銅五輪塔(放生院蔵)
海龍王寺金銅舎利塔
舎利塔(伝亀山天皇勅封)側面
金銅金剛盤裏面刻銘(奈良国立博物館蔵)
厳島神社 密教法具
五鈷杵・独鈷杵
【著者について】
岡田譲 美術評論家・工芸研究家
東京出身。東京帝国大学卒。東京国立博物館学芸部長、文化庁文化財鑑査官を経て、1972年東京国立近代美術館館長。共立女子大学教授、文化財保護委員会専門委員。1973年から多摩美術大学講師、多摩美術大学文様研究所研究所員として勤める。漆芸史を専門とし、伝統工芸の評論で活躍した。1980年「美と風土―名品・名匠との出会い」で芸術選奨文部大臣賞受賞。